「Bowling for Columbine」(ASIN:B00008HC54)

modmasa2004-01-16

前から気になっていた。マイケル・ムーア監督の作品。(http://www.gaga.ne.jp/bowling/)(http://www.bowlingforcolumbine.com/)

1999年4月20日アメリカ合衆国は普段通りの穏やかな朝を迎えた。人々は仕事に励み、大統領は国民が名前さえ知らない国に爆弾を落とし、コロラド州の小さな町では2人の少年が朝6時からボウリングに興じている。何の変哲もない予定調和な1日のはじまり…。このあと、2人のボウリング少年が悲劇的事件を起こそうとは、いったい誰が予想しただろう。 その日、アメリカは旧ユーゴスラビアコソボ紛争における最大規模の爆撃を敢行した。その1時間後、あのコロンバイン高校銃乱射事件、別名トレンチコートマフィア事件が起きたのだ。事件の舞台はコロラド州リトルトンのコロンバイン高校。そこの生徒である2人の少年が、高校に乗り込み銃を乱射。12人の生徒と1人の教師を殺害したのち、自殺するという衝撃的なものだった。 この事件は全米を震撼させた。あらゆるメディアが事件の分析を試み、ヒステリックに騒ぎ立てた。映画やTV、ビデオゲームにおけるバイオレンスの氾濫が悪いのだ、家庭の崩壊の産物だ、高い失業率が原因だ、いやアメリカが建国以来たどってきた暴力的歴史のせいなのだ、と。報道はどんどん過熱、犯人が聴いていたという理由からハード・ロック歌手マリリン・マンソンのライブがコロラド州で禁止されるという一幕もあった。
しかし、ビデオゲームは日本の方がよほど進んでいる、家庭の崩壊はイギリスのほうがひどい、失業率はカナダのほうがはるかに高い。なのになぜアメリカだけ銃犯罪が突出しているのだ?なぜ、アメリカだけが銃社会の悪夢から覚めることができないのか? マイケル・ムーアは、その大きな体をゆすりながら、問題の核心に迫るためマイク片手にアポなし突撃取材を敢行していく。彼は問う。「マリリン・マンソンのライブを禁止するのなら、なぜボウリングも禁止しないのか?」

002年カンヌ国際映画祭を最も賑わした作品、それが「ボウリング・フォー・コロンバイン」。 ドキュメンタリーとしては46年ぶりのコンペ出品作となった本作は、前例のない20分にも及ぶスタンディングオベーションを巻き起こし、上映館に人々が押しかけ大騒動になるという事態にまで発展。作品に一目惚れした審査委員長のデヴィッド・リンチは、急遽「カンヌ国際映画祭55周年記念特別賞」をつくって、限りない賞賛と敬意を贈った。そんなパワフルな作品をつくったのは今、アメリカで最も影響力を持つジャーナリスト、マイケル・ムーア。マイク片手に突撃アポなし取材という独自のスタイルで、全米を震撼させたコロンバイン高校銃乱射事件を入り口にアメリ銃社会を斬っていく。彼は問う。なぜコロンバイン事件が起きたのか? なぜ銃犯罪が多発するのか?こんなアメリカに誰がした?

出だしから日本とは違うと感じる。口座を開設すると銃をもらえるという銀行からの話。マイケル・ムーアが実際に口座を開いてライフルをもらっている。この映画におけるマイケル・ムーアの疑問は単純だ。「アメリカではなぜこれほど拳銃の犠牲になる人が多いのか?」
そりゃ簡単だ、アメリカでは拳銃の所持が認められていて、拳銃がたくさんあるからだろう、と答えたくなる。ところが、実はカナダにも拳銃を所持している人がやまほどいるのに、カナダでの拳銃による犠牲者はアメリカに比べると極端に少ないのだ。
各国の銃犠牲者の数 ドイツー381人 フランスー251人 カナダー165人 英国ー68人 オーストラリアー65人 日本ー39人 アメリカーなんと11127人 あまりの多さに愕然!!どの国も過去に大量殺戮を起こした歴史があるなの、ここまで違う結果が出てるとは。アメリカにおける「恐怖の文化」に一つの原因があるんじゃないかと投げかける。NYに行った時も週末の三時ぐらいののどかな時間招待されたアメリカ人の家ではカーチェイスだけを特集した番組を見てる。日本以上に恐怖をあおる番組が多い。犯罪は10年間で20%減ってるのに、その手の番組は6倍にもなってると言う。アニメを用いたユーモアあるシーンも印象的だった。清教徒弾圧 >> アメリカへ >> 新天地で野蛮人と出くわす >> 本土と争う >> 魔女狩り >> 銃所持 >> 奴隷制 >> 200年間の奴隷制による反乱 >> リボルバー式銃の発明 >> kkk団、米ライフル協会 その度ごとにどんどん不安になってエスカレートしていってるというアニメ。彼は言う「僕はマークトゥエインのこの言葉が好きだ。ー笑いと言う攻撃には誰もが屈するー」最近の日本のお笑いの辛口(誹謗中傷)だったり差別的な事に頼って笑わせるのではなく、「ユーモア」によって彼はこの映画を作ってる。extra-trackに彼のインタビューがあって彼が言ってる様に、彼は相手いつでも尊敬して接している。そして、編集に関しても出来るだけ時間軸を動かさず描いている事により彼と同じ様に鑑賞者は驚きを体験できる。コロンバインの事件で負傷した生徒が、ムーアとコロンバイン事件の犯罪者が銃弾を買ったと言う会社の本社に向かう場面はホントスカットした。映像は最大の武器になりえる事が分かる。逆に映像の使い方によって人はどん底に落とし込められる、人生を台無しにされる恐怖がある事も分かる。