「建築はほほえむ」

「建築はほほえむ」松山巌

建築はほほえむ―目地・継ぎ目・小さき場

建築はほほえむ―目地・継ぎ目・小さき場

日本推理作家協会賞サントリー学芸賞などを受賞した著者による「建築とは何か?」と熱く語りかける建築入門書。
初めて建築を学ぶ人たちに向け、わかりやすく語りかける建築論。
副題「目地 継ぎ目 小さき場」と、タイル目地のような意識的に作られた小さな隙間の重要性を説く。
「建物も街も都市も、緊張したままでは疲労する。建物は、少し微笑んでいるくらいがいい。街は、少しほころんでいるくらいがいい。都市は、少し笑っているくらいがいい。」
松山巌は、「あなたが好きだなと感じる場所を考えてみよう。あなたが気持ちのよいと感じる場所を考えてみよう」という設問から始め、建築とはなにかをさぐる。好きな場所、気持ちのよい場所は、いま、どこにあるのか?
「建築は愛されているか。町は愛されているか。都市は愛されているか」。現代の町は否定的なものなってしまっている。20世紀の合理主義建築は、「好きな場所」「気持ちのよい場所」ではなくなっていることが多い。
「建築家、……都市計画家がはじめに考えることは、自分の好きな場所、気持ちのよい場所を発見し、それに具体的なものと寸法を与えることだ。素材、かたち、大きさ、光と風、水と緑、土と石などを配置し、つくり上げ、気持ちのよい場所であるように秩序をつくる、それが仕事だ」そのためには「小さな場」が大切なのだ、と松山はいう。

「浴室のタイル壁には目地(継ぎ目)がある。タイル壁に目地がなかったら、地震が起きればタイルとタイルが直にぶつかり合い、タイルにヒビが入って壁は壊れてしまう。タイルの目地のようなもの、建築用語では「逃げ」と呼ばれる、異なるモノとモノを組み合わせる際に意識的につくる小さな隙間のようなもの、時間と場所の隙間が、人が生きていくためには必要なのだ。」
「もし建築たちに意志があるなら、建築たちは樹のように生きたいと希っているのではないだろうか。」
「ル・コルビュジェの語る”第二の目的”を住まいに作り出すだろう。森のような静謐と陽気、秩序と多様を併せ持つ街をつくり出すだろう。ひとつの建築が目覚めたとき、街全体も甦るだろう。そうでなければ、コンピューターという道具の扱い方を誤っている。」
「建物にもし、いいものとわるいものがあるとすれば、いいものとは長いあいだ、人々に使われた建物である。なぜならそのような建物は、時代の変化に耐え、激しい風雨にも耐え、なにより多くの人々に愛され、使われてきたからである」
当たり前だが忘れがちな事。空間を創るものの原点。

ザラッとした紙に活版印刷された活字とイラスト、写真が楽しげに紙面を飾る。日本では明治以降の書物の印刷形式であった「活版活字印刷」の本になっている事で、本そのものが手触りとして「身体的に」実感する事で、単なるテクストとしての情報以上のものが伝わってくる。web社会の苦手な部分の情報「視覚的」+感覚「身体的」な事柄が詰まった本だ。

「大工の弟子」萩原朔太郎

僕は都會に行き
家を建てる術を學ばう。
僕は大工の弟子となり
大きな晴れた空に向つて
人畜の怒れるやうな屋根を造らう。
僕等は白蟻の卵のやうに
巨大な建築の柱の下で
うぢうぢとして仕事をしてゐる。
甍いらかが翼つばさを張りひろげて
夏の烈日の空にかがやくとき
僕等は繁華の街上にうじやうじやして
つまらぬ女どもが出してくれる
珈琲店カフエの茶などを飮んでる始末だ。
僕は人生に退屈したから
大工の弟子になつて勉強しよう。
http://www.asahi-net.or.jp/~aq3a-imi/syoko/kindai/sakutaro/thebluecat.html