「内なる傷痕」(ASIN:B00006965O)

modmasa2004-01-27

フィリップ・ガレル監督作品(16歳で監督デビュー。ゴダールの再来と騒がれる。NYに渡り、ウォーホルやジョン・ケイルらと交流、実験的な映画作りに取り組む。フランス帰国後は、研ぎ澄まされた静けさを湛えた恋愛映画を多く発表。元ヴェルヴェッツのニコと結婚するも、離婚後、1988年イビサ島で事故死を遂げるニコ。)ガレルと元妻のニコが、世界各地の砂漠や雪原を訪れ、2人の間に起きた激しい感情や世界観を美しい映像の中に結晶させた作品。見渡す限り人影のない、人工物の全く無い、草原・雪原・砂漠…。そこに現れる白い装束に身をつつんだ女性。丸い火の輪。馬に乗った裸の男性。ただただ丸い火の輪の中馬に乗ったシーンが見たくて見た作品。彼の言葉「私はいつも映画を通じて、自分が語りたいことだけを語ってきた」パリの路上で発見されるジーン・セバーグ。自殺をした親友のジャン・ユスターシュ(『ママと娼婦』監督)。イビサ島で事故死を遂げるニコ。フィリップ・ガレルの映画は、いつも、彼の身近にいる愛する人々に対する想いと記憶が結晶している。場面は常に景色、自然が作り出す世界。そこはまるで異次元の惑星の様に感じる。セットで描いた世界では無く今この時もその芭蕉は恐らく存在し続けているのだろう。人が存在してない日常というものはこういう場所なのだろうか。恋愛映画は数あれどこれほど素朴な映画もない。フィリップ・ガレルとニコが共に旅をし互いに会話し創作意欲を燃やした日々がこの映画の裏には存在していた。これは二人の記憶と言う名の作品なんだと思う。

J=L・ゴダールの再来と呼ばれセンセーショナルなデビューを果たした”ヌーヴェル・ヴァーグの恐るべき子供”フィリップ・ガレル。その後アンディ・ウォーホルのファクトリーと接触した彼は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコとすぐさま恋に落ちる。『内なる傷痕』はニコとガレルが10年間にわたる結婚生活中に作り上げた7本中の作品の一本。その頃、実験映画に傾倒していたガレルがニコと共に世界各地の砂漠や雪原で一大ロケを敢行し、二人の間に起きた激しい感情や二人の世界観を、息を呑むほどの美しい映像の中に見事に結晶させた作品である。全編を彩るニコの重厚な音楽、そして唸るように紡ぎ出される詩が、観るものの胸に迫ってくる。フィリップ・ガレル70年代の最高傑作と言われた本作の公開により、また新たなる伝説が誕生する。

また見づらくなってしまうだろう。が、ガレル語録を書かないわけにはいかない。これほどまでに生身の自分を紡ぎだし映画を描いて来た作家が居ただろうか!あまりにも真っすぐに描く彼の姿勢にはホント頭が下がる。「私の映画と人生は密着していて、それを分け隔てて考えることはできない。」かつての作家が生きるために小説を描いていた様に、彼もまた生きるために映画を撮っている。作品自体に生身のガレルが存在する。

・・ガレル語録・・
「街にかかっている映画には見るべきものがないから自分で映画を作ろうと思う、とかつてゴダールは語った。私の立場も彼と同じだ。〜ジャン・リュックの映画を見た後では、映画はもはや学校や助監督の経験のなかにあるのではなく、歩道や雨や夜のなかにある。」

「私にとって、同じ人たちと一緒に仕事をすることはとても重要だ。なぜなら映画というのは、少しばかり冷ややかな世界で、個々のフィルムに本物の人生との関係を与えることが必要だからだ。今なお私にとって過去の作品が大切なのは、スタイルの問題や表現的に成功したかどうかということ以上に、私が二十歳だったときの友人や家族たちのイメージが、そして次にはもっと年をとった彼らのイメージがそこにあるからだ。私の映画と人生は密着していて、それを分け隔てて考えることはできない。」

「私の映画には前もって入念に準備されたショットは存在しない。朝、撮影が始まる直前まで、私は場面やショットについて考えないようにしている。映画は空想的なものとの結びつきからではなく、現実的なものを秩序だてることから作られるべきだと思う。」

「35ミリ・モノクロームの映画を決して見捨ててはいけない。なぜならそれは、映画が発明されたときの姿だからだ。かつてアンリ・ラングロワは私にそう言ったことがあった。」

シャンタル・アケルマンや私のように、すでにイメージは過剰に存在し、テレビや映画を通じて人間を疎外化していると考える人々もいる。〜だから私は映画を撮るときには、多すぎるイメージを作ってはならないと、自分に言い聞かせることにしている。私は断じて<スペクタクルの映画や社会>に貢献したくないし、それゆえ大きな予算を受け入れることもできないのだ。」

「私の夢は、いつでも処女作のように個人的な事柄を語りながら、より多くの人々に共鳴してもらえる境地に達することだ。けれどもそれは永遠に果たせない夢であって、結局のところ番人に受け入れられる普遍性の世界へは行きつけないと思う。つまり映画を撮るという行為は、私にとっては喜びと同時に失望をもたらすものなのだ。「しかし映画館に行くと唖然とするような映画に出会うことになる。〜私は神や永遠性を信じる人間ではないが、芸術は信じる。人々が映画を撮るうえでもっとも重要なのは、倫理的な誠実さに違いないのだ。」

ガレルの作品は今までのストーリー性のあるエンターテイメントの作品とはかなり違う故に、なじめない人も多いのではないかと思う。しかし、彼の作品への姿勢を理解すればこの作品の良さがきっと分かるはず。身近な人の死の悲しみ、そして共に過ごした日の記憶、彼の周りには負の流れがあるのではないかと言う人がいるかもしれないが、恐らく彼同様彼の仲間は真っ正面から現実に向かっていってしまったのではないかと思う。作家は何かを伝えるために、伝えるものがあるために創作を思う。書く事、形にする事が大切なのだろうか?彼の様に自己と分け隔てなく紡ぎ出す行為こそが人に伝える真実なのではないか!
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