「小石の感覚」

modmasa2004-02-08

いつもの様に道ばたを歩いていた。信号が赤になり止まった瞬間、足下に奇妙な感覚が走った。下を覗いて見ると単に石ころを踏んだだけだった。普段は無意識に歩いているだけで気付かなかった足下の感覚が、足を止める事とその瞬間に石を踏む事に寄って不思議な感覚になったみたいだ。環境が整備される事によって、足下の感覚は鈍り鈍ってる事に気付いた。砂浜、落ち葉がある道、雨でぬかるんでる道、昼間はそこを歩くときに視覚によって認識してから歩くのだろう。以前玉川上水沿いの遊歩道を夜歩いていた。遊歩道はほとんど明かりが無く真っ暗な状態。足下は雨で抜かるんでいて、木々の根っこはあちこちに延びている。そんななか歩くのは実に楽しい。半分以上はばくち状態で次の一歩を踏み出す。滑って転けそうになったり、根っこに足を引っかけたり、慎重に足を踏み出したら真っ平らな地面だったりと、視覚に頼らない感覚のゲームを楽しめる。荒川修作http://www.architectural-body.com)の目指す環境もこんなところなんだろうと思う。環境があまりにも整備されて人間の本来持つ生命力としての感覚がどんどん鈍ってるのを取り戻す事は、ストレス、自然治癒力の低下、自律神経の低下を克服する事なのかもしれない。障害者に対するバリアフリーと、現代人が失いつつある自然環境(整備されない、感覚で読み取りながら把握して行く事の出来る環境)とのバランスをどうとっていけばいいのだろうか。