「さあ今一度住宅設計しよう!そこには何が必要か!?」

modmasa2005-04-27

「住宅巡礼」 中村 好文 (著) B5判/159ページ/2940円(定価)
ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライト……巨匠建築家の実力は個人住宅にこそ発揮された。家を美しく快適にするための独創はどこにあるのか。カメラとスケッチブックを片手に世界各地を訪ねた住宅建築家の、ワクワクドキドキのフィールドノート。
我が校OB中村 好文著書。20世紀の著名な建築家はそれぞれ思い入れのある住宅を設計している。しかし住宅はほとんどの場合見ることが出来ない。展示空間になってしまった住宅は見れるが、皮肉にもそこには生活は過去の遺産になってしまっている。
建築の中でも住宅は人間の生活に根強く繋がっているもので、そこで生活する個人が凄く現れる空間だ。
今一度原点に立ち返って住宅とは?を考えるきっかけをつくってくれる本。
初めて設計をするときに見たあの建築家のあの住宅。
いつの時代も変わらない住宅に大切なもの。
さあ今一度住宅設計しよう!そこには何が必要か!?

「読者には、ぜひそのスケッチを片手にコルビジェの描いた点線をたどりつつ平面の中を歩き回って欲しいのです<建築的散策路>という言葉がコルビジェの建築のキーワードだったことも忘れずに…(p14)」
「建築家という人種には、どうも表向きの体裁や見栄ばかりを気にするカッコマンが多く、背後のサービス部分にはあんがい冷淡、という困った傾向が見られますが、コルビジェにはそれがありません。(p18)」

フィリップ・ジョンソンは、あるインタビューに答えて「私は、自分の設計する建物を<外側の建築>と<内側の建築>との分けている」と語っています(p29)」
「開かれるであろう大人数のパーティーのことや、置かれる彫刻のことも考慮しながら、しかし、この天井高は理詰めにではなく、直感によって決定されたように感じられました。特別な根拠はなく、それこそ私の直感ですが、天井寸法の的確で、いさぎよい決断が、この住宅の居心地の良さの決め手となっていると直感したからです。(p33)」
「かつてフィリップ・ジョンソン著作集で読んだ彼の言葉がささやき続けていました。「私は、私の芸術にただひとつ偉大な分野があることに思い至る」
「住宅をうまく昨日させるためのやりくりが美的な創意にまさってしまったら、それはもう建築ではない。それは、ただ有用な部分の寄せ集めに過ぎない」
「よい建築は金のかかるものだ。文化というものは兼ねをかけた建築によって記憶されるのだ」
「建築は音楽と同じく、はらわたにこたえてくるものでなければならない」そしてー
「建築を学ぶ唯一の方法はそこに出掛けて行ってその建築の中に身を置くことだ(p37)」

落水荘の魅力のひとつは、水平線と垂直線とが拮抗し、微妙なバランスを保ちつつ違和感を感じさせずに風景の中におさまっていることですが、その違和感なくの理由が眺めているうちに突然分かりました。分かってみれば当たり前のことですが、水平線と垂直線は落水荘が建つ前からその風景を絶対的に支配していたのです。言うまでもなく、水平線は渓流の水面として、垂直線は流れる滝として…です。(p79)」

私が希有な直感と書いたのは、実はこのおさまりのことでもあります。設計者であるアスプルンドの気持ちは、単純な矩形ではとてもおさまらなかったし、角度にしても、三十度や四十五度などの三角定規の角度では満足できず、てんでおさまりのつかなかったのです。このずれ加減、この微妙な角度の振れこそがアスプルンドという建築家の息づかいであり、体臭であり、心の形なのです。(p100)

「「建物は大地に根をおろしたのである。」「ひとつの住宅を設計することは、その場所を設計をすることである」という、ボッタ氏の言葉は、こうして少し離れたところから風景の一部としてその建物を眺めるといっそう説得力を持っているようです。(p119)」

WINDOWの語源はWIND+EYEだそうである。(p129)

住宅巡礼

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